2020-04-15 第201回国会 衆議院 国土交通委員会 第9号
私ごとで恐縮なんですけれども、自分の実家も高知県の土佐清水市でかつてホテル業をやっておりまして、御縁あって、昭和の天皇陛下とか、あと平成の天皇陛下も皇太子時代に泊まっていただいたこともあります。その影響もあって、私自身もサラリーマン時代は観光産業の方に勤めさせてもらったんです。
私ごとで恐縮なんですけれども、自分の実家も高知県の土佐清水市でかつてホテル業をやっておりまして、御縁あって、昭和の天皇陛下とか、あと平成の天皇陛下も皇太子時代に泊まっていただいたこともあります。その影響もあって、私自身もサラリーマン時代は観光産業の方に勤めさせてもらったんです。
今上天皇の沖縄への思い、皇太子時代から天皇陛下として即位され現在に至るまで、沖縄に対する御心は、多くの沖縄県民からも、日本国民の象徴として深く敬愛されていると感じます。昭和天皇は、沖縄に対する思いを持ちつつも、戦後、御訪問を果たすことはできませんでした。 昭和六十二年、当時八十六歳の昭和天皇は、「思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果さむつとめありしを」という御製をお詠みになりました。
天皇陛下におかれましては、さきの大戦において、地上戦が行われ、多くの犠牲を払った沖縄に対し、強い慰霊の気持ちを持たれておりまして、皇太子時代を含め、これまで十回沖縄を御訪問されているところであります。 沖縄戦の終結した六月二十三日は、忘れてはならない四つの日の一つとしてお考えになられており、毎年六月二十三日には、沖縄で犠牲になられた方々に対して黙祷をささげられているところであります。
次いで、象徴天皇について、天皇は、古来より象徴としての性格を有していたのであり、明治天皇のような軍服を着た天皇は歴代の中でごくわずかであった、また、現在の天皇は皇太子時代から象徴天皇のあり方を模索しており、その意味において伝統的な天皇の形をつくられ、日本国憲法のもとで即位した初代の象徴天皇と言ってよいとの意見が述べられました。
今の天皇も皇太子時代の御発言の中で、天皇は文化といったものを大事にして、権力がある独裁者というような人は天皇の中では少なかった、象徴というものは決して戦後にできたものではなく、非常に古い時代から天皇は象徴的存在だったと思うというふうに言っておられます。 次に、象徴天皇として大切な要件でございますけれども、やいばに血を塗らざる伝統というのがあると思います。
そのときに天皇は、日付はあれしました、どこかへ書いてありますけれども、十月の十何日だと思いましたが、今の陛下は皇太子時代に、とにかくこういったタブーばかり言ったのではかえってぐあいが悪い、むしろそういった、父を、昭和天皇のことを思ってくださる国民の気持ちはわかるけれども、世の中全体が暗くなってはかえってぐあいが悪いから、タブーについては、そうおっしゃったかどうかわかりませんけれども、そういう自粛についてはもう
それは、天皇陛下は、今の陛下ですけれども、この方は本当に皇太子時代から、私は宮内庁を担当しましたのは三十年ぐらい前ですから皇太子時代のことをよく取材しているんですけれども、象徴天皇の道というのは、先ほど私たくさんテキストがあると言いましたけれども、そのテキストをもとにして現代の象徴天皇のあり方をずっと考えてこられたというふうに思います。
それは一九八六年に皇太子時代の今の天皇が韓国を訪問されるということが具体化しかかったという事実がありました。そのときは妃殿下の体調ということで中止になったわけですが、実はあの皇太子訪韓が報道されたときにすぐに金大中さんから電話がかかってきまして、韓国の世論はとてもそんなものじゃない、それはやめた方がよろしいという意見を、かなり長時間の電話でしたけれども、言ってきました。
特に現天皇は皇太子時代から随分と各国を訪問されまして、その親善の実を上げていただいておりますので、もしどこの国なりともそうしたことがございましたならば、やはり服喪ということもございましょうし、そうした服喪の期間が明けました場合には、我々といたしましても、そうしたことはありがたくお受けしなければならないだろう、かように考えております。
○伊藤顕道君 大正十年であったと思いますが、陛下は皇太子時代に、六ヵ月の御予定でイギリス等をはじめとしてヨーロッパ諸国を訪問されたことがあったと思うのです。そこで、今度ここに国事代行法が昨年成立したわけですから、先ほども申し上げたような天皇外遊の道が開かれたということですが、今後天皇外遊という問題について問題となるのはやはり時期の問題だと思う。